表現する前にちょっと考えよう

文学作品において「誰に」「何を」「どうやって」伝えるか、はかなり重要な事だと思います。
一番重要だと言ってもいいかもしれない。
確か、私が今まで読んできた「小説の書き方」とかにもそういう風に書かれていたはずです。


これは別に文学に限った事だけではないと思います。
歌でもそうでしょうし、演劇でも舞踏でもブログでも会話でもそうでしょう。
あらゆる表現において上記3つは重要な事なのだと思います。


しかし、何かを表現する場合において、往々にして私は「どうやって」伝えるかに主眼を置いた考え方をしてしまうクセがあります。


確かにどうやって伝えるか、という事は非常に重要です。
「この人に○○を伝えたいんだ!」という熱い想いがあったとしても、その方法論を間違ってしまっては他者に何事かを伝える事は不可能です。


例えば、AさんがBさんに愛の告白をする場合。(AさんからBさんに好意を伝える場合)


成功例
Aさん「僕はあなたが好きです!」
Bさん「嬉しい!」


とても簡略化しましたが、基本は上記の通りのはずです。


失敗例
Aさん「あの…その…ぼ、僕は…あのたなgなあた・・・(あたふた)」
Bさん「・・・? (なんだこの人、気持ち悪いなぁ…)」


これでは好意を伝えるどころか、悪印象をもたれてしまいます。
このように表現を伝えるための方法論というものは大変に重要です。


しかし、かといって表現方法だけに精通しても、伝えたい事、伝えたい人、が不在の場合にはその表現には意味がなくなってしまいます。むしろ害があるとも言えるかもしれない。


Aさん「僕はBさんが好きです!(ウソだけど)」
Bさん「嬉しい!」
Aさん「僕はCさんが好きです!(ウソだけど)」
Cさん「嬉しい!」
Aさん「僕はDさんが好きです!(ウソだけど)」
Dさん「嬉しい!」
Aさん「僕はEさんが好きです!(ウソだけど)」
Eさん「嬉しい!」


その後…


Bさん「Aさんが好きなのは私よ!」
Cさん「私よ!」
Dさん「私よ!」
Eさん「私よ!」



Aさんが不要な表現を行ったばかりに、不毛な諍いが起こってしまいました。


表現方法を磨く事はとても難しく、重要です。
しかし、そればかりを磨いていると、いつの間にか一番重要だったはずの事を忘れてしまうかもしれない。
一番重要なことを欠いた表現は、意味が無いばかりか、もしかしたら悪い結果を招いてしまうかもしれない。


誰に、何を伝えたかったのか?*1
なんらかの表現をする前には、必ずこの事を思い出してから行いたいと思います。

*1:もちろん、伝えるべきではない想いというものもあるはずです。例えば「○○を殺したい」など。それは表現しない方がいいはずです。その判断も、誰に何を伝えたかったのか?という事を考えれば自ずと出来るのではないかなぁ…と思う。