僕の考える他者とのコミュニケーションにおいて必要な心構え

人とコミュニケーションをとる事はとても難しい。

なぜかと言うと一人ひとりが思っている「常識」というものがまさに十人十色であるからだ。
一人ひとりがその「常識」を基に話す。

困った事に日本人はほとんどの人が「日本語」という共通のツールで会話を行うから、自分も相手も同じ認識で物事を語っていると思っている。*1

でも、実際はそうではない。
一人ひとりが違う環境の下で育ち、違う経験をしてきている。

だから、同じ「花」という言葉でも、それを聞いて思い浮かべるのはそれぞれ違う「花」であるはずなのだ。
ある人は満開の向日葵を思い浮かべるかもしれないし、ある人は一輪のバラを思い浮かべるかもしれない。*2

「花」くらいだったら認識に差があっても大した問題にはならない。
でも、これが「片付ける」や「伝える」などの日常生活に深く関わる行為や「愛」なんていう抽象的なものになると大変な事になる。

ある人は整理整頓をする事を「片付ける」と認識しているのかもしれないし、ある人は「処分する」=「片付ける」だと認識している人もいるかもしれない。*3

この認識のズレがディスコミュニケーション*4を引き起こす。


例えば先ほど例に出した「片付ける」という言葉を使った「アルファ君」「ベータ君」の場合。


アルファ君「ねぇねぇ、ベータ君、ちょっとお願いがあるんだ」
ベータ君「なんだい?」
アルファ君「今から彼女を自宅に招待するんだ。それで僕は今から彼女を迎えに行ってくるから、悪いんだけどキミは僕の部屋のものを【片付け】ておいてくれないか? 後で焼肉でもおごるからさ」
ベータ君「焼肉か。よし、交渉成立だ。キチンと【片付け】ておくよ」
アルファ君「ありがとう、恩に着るよ」


30分後、駅前にて…


彼女「ねぇねぇ、私からの誕生日プレゼント、ちゃんと使ってくれてる?」
アルファ君「あぁ、【今日からキミも小島よしお! オッパッピー海パン】だろ? ちゃんと使ってるよ」
彼女「本当!? うれしい! じゃあ、家に着いたらはいてみせてね!」
アルファ君「お安い御用さ、ハッハッハ…。」


アルファ君の家に到着…


彼女「ねぇねぇ、早くはいて!」
アルファ君「そんなに焦るなよ、ちゃんとここに……アレ!?」
彼女「どうしたの?」
アルファ君「いや、そんなはずは…キチンとここにおいてあったのに…アレぇ!?」
彼女「もしかして…無くしたの!? ヒドいわ! 三日三晩、一睡もせずに糸から採取して作ったのに! さよなら!」
アルファ君「アレ手作りだったの!? てか、海パンなのに糸って海水しみこむ…いや、今はそんな事より……まって、いかないで!! お願いだ、待ってくれ! え、ちょ、リアルに足速いんだけどあの娘…! ま、まって…ぜぇぜぇ…!」
彼女「アバヨ!」
アルファ君「なぜ…去り際が柳沢慎吾…ぜぇぜぇ…」


10分後、焼肉屋にて…


アルファ君「ベータ君! どういう事なんだ!」
ベータ君「どうしたんだい? そんなに血相を変えて…キミもナムルでも食べて落ち着きなよ。どうせキミの奢りなんだ」
アルファ君「どうしてキミはせっかくの焼肉なのにキムチだのナムルだのキャベツだの野菜ばっかり注文してるんだ! いや、そんな事はどうでも…」
ベータ君「真の贅沢とは焼肉屋で人に奢らせておきながら、あえて野菜を食べる事だと親から教えてもらわなかったかい?」
アルファ君「人の話を聞け! ベータ君、どういう事なんだ! 僕の部屋から彼女が三日三晩、一睡もせずに糸から採取して作った【今日からキミも小島よしお! オッパッピー海パン】が無くなってるぞ! それと、キミの親は変人だと思います」
ベータ君「あぁ、アレなら捨てたよ。汚かったんでね」
アルファ君「す、捨て…!? なんて事を!」
ベータ君「何を怒ってるんだい? 部屋を片付けろと言ったのはキミだぜ?」
アルファ君「確かに片付けろとは言ったが、誰も物を捨てろなんて言ってない! 僕は整理整頓をしてくれという意味で「片付けろ」と言ったんだ!」
ベータ君「それならそうと言ってくれないとわからないよ。僕はてっきり「いらないものを処分してくれ」という意味で言われたのだとばっかり…」
アルファ君「とにかく、金輪際キミとは付き合わない。キミのせいで彼女に逃げられてしまった。焼肉もおごらないからな!」
ベータ君「えぇ、それは困る。もう会計は24万円を越えてるんだぞ…」
アルファ君「どんだけ野菜食べたんだよお前!」


このようにある言葉の認識のズレは不要な争いを生み出す基となる。
これを防ぐためには、とにかく双方が密なコミュニケーションをとり、お互いの共通認識を増やしていくしかないだろう。*5


他者の心の内を覗く事は、エスパーでもない限り不可能だ。
であれば、完全なコミュニケーションなんて事も恐らく不可能だ。
でも、たぶん、限りなく完全に近いコミュニケーションは、それを行うものがそれを目指して努力すれば、きっと出来ると思う。


そのためには、自分の常識が相手の常識とイコールだと思わない事が重要なのだ。

*1:少なくとも僕にはそう思えるのだが、アンケートなどで調査した事はないから実際のところはわからないんだけどね

*2:あとはラフレシアとか

*3:どうでもいいけど、「片付ける」=「なおす」という方言はどの地域まで通じるのだろう

*4:ディスコミュニケーションって和製英語なんですって。外国人に「ディスコミュニケーション」って言うと、それこそディスコミュニケーションが引き起こされちゃうんだね。面白いね

*5:でもよく考えるとここでもディスコミュニケーションが発生する可能性は普通にあるのよね